7年前に結婚した33歳の主婦「りょう」もう●学生になる息子と夫、そして夫の母と幸せに暮らしていた。裏の顔は…昼間から仕事をさぼり、男達と飲酒、喫煙、セックスを楽しむヤリマン女。堕落した生活、墜ちていく快楽に女は何を思うのか。本格ドキュメンタリー作品。こんな生々しいSEXはこのレーベルでしか見れない!
真琴りょうの頭の回転の速さ、機転が効くという点に注目してみると非常に興味深い。まず我々はこの映像の中で、『非常にだらしない性欲に負けた女性』を目のあたりにするはずなのである。たとえば、男ばかりの部屋等に、のこのことやってくる女性は、いわゆるカモがネギしょってやってきたおめでたい方であるべきなのである。なしくずすしに暗黙の了解の元で女性を犯したい。めんどくさいくだりは萎えるだけ。そういった男の一方的な焼き畑農業のような非生産的な願いを、叶えるというのはやはり至難であると言わざるをえないのであろうか。完全な男性目線の上で、立ちまわるのは女性としては非常に屈辱極まる上に行動、選択も限定され、いいなりに近い形にしか通常では動けないものではないか。にもかかわらず、真琴りょうの振る舞いは絶妙である。いいなりではあるが、自分自身を見失わない。やる気をうまくいなしたり、挑発を加えてみたりしてコントロールするのである。攻めに対しても懐が深く、男たちは攻略にやっきになる。そしてようやく城が落ちたとき、真琴りょうのエロスはさらに妖艶なオーラを纏い昇華する。シーン的には、騎乗位は必見である。あたかも後光が差し込んでいるかのような錯覚にとらわれてしまったほどである。人間の魂の行方というものは何処で光り輝くのか、それは投影するおのれの心の中にあるのかもしれない。エロの凄みを感じる女優さんは希少であり、貴重である。リアルではありふれたよくある光景、ただそれを忠実に切りとることは容易なことではない。この作品は日常に一歩踏み込んで言及している。うわべだけを切り取れば現実は実相を失い、フィクションにリアリティがないジレンマに陥る。人間の根源にある欲求というものに、正面から取り組んでいるからこそ作品にリアリティは生まれ、演者も生きるのである。通常などというものがこの世にないこともおそらく彼女は理解している。だからこそエロもドライブしていくのである。